ようこそ!ゲストさんようこそ!ゲストさん ログイン・新規登録   



歴史探訪

広島県庄原市歴史探訪
庄原市の概要
庄原市は、広島県の北東部の端に位置し、島根県・鳥取県・岡山県と県境になっています。市域は市街地を取り巻くように、水と緑に恵まれた農山村地域が広がっており、古くから市(いち)が栄えた地でした。陰陽を結ぶ交通の要衝地で、標高150〜200mの盆地をはじめ、全般に緩やかな起伏状の台地を形成し、豊富な水源や温暖な気候による水田耕作地帯がよく見れます。

庄原のあゆみ
市域は、隣の三次市とともに県内有数の遺跡密集地で、縄文・弥生・古墳時代の遺跡が数多く残されています。中でも日本ピラミッドと呼ばれる葦嶽山は、神武天皇陵との言い伝えがあり、古代遺跡を思わせる巨石郡が神秘的な謎とされています。

現在の東城町と西城町のあたりは、むかし「奴可(ぬか)郡」と呼ばれていました。奈良時代の大化改新以後、税制が整えられ、養蚕による絹糸にて納税するようになっていましたが、当地が養蚕に向かず製鉄が適していたため、備後国の奴可郡など八郡においては、絹糸の代わりに鍬や鉄で納税することを朝廷に許されたという記録があります。このことから、平安時代にはすでに当地の製鉄が相当盛んであったとことがうかがえます。

鎌倉時代の1316年には、山内通資が甲山城に入城し、恵蘇、三上郡に勢力を張っていました。その後、毛利氏、尼子氏、大内氏などの諸豪族の争覇時代を経て、江戸時代には福島氏、浅野氏が安芸国・備後国の太守に就いています。福島正則は長尾一勝を五品嶽城主に任命すると、長尾一勝は街路を区画整備するなど、積極的にまちづくりを推進し、繁栄に貢献しました。

江戸時代まで備後地方を繁栄させていた、たたら製鉄関連産業でしたが、明治時代になると輸入鉄鉱石を原料として洋式製鉄法を用いた釜石製鉄所(岩手県)や八幡製鉄所(福岡県)の操業により、たたら製鉄は価格競争力を失い、急速に衰退し消滅していきました。地元産業は転換を余儀なくされ、農家の副業として行われていた製炭は家庭用の良質な白炭生産に切り替え、輸送用の馬の飼育は和牛の飼育へと変わっていくことになりました。その結果、現在の市域の畜産は、全国の品評会で最優秀賞を受けるほどの良質な和牛の産地へと発展していきました。

1954年の市制施行によって、1町6村が合併し、庄原市が誕生すると、周辺の町村も次々と合併していき、西城町・東城町・口和町・高野町・比和町・総領町が誕生していきました。その後の2005年、庄原市と周辺6町との対等合併により、県下最大面積を持つ新・庄原市が誕生しました。


庄原の名前の由来
645年の大化の改新後、律令政治が衰退し、私有地の荘園が代わって台頭しましたが、その名残「荘(庄)家のある原」に由来するといわれています。


庄原の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 庄原市田園文化センター(歴史民俗資料館)
住所: 〒727-0013
広島県庄原市西本町2丁目20-10 [地図を見る]
電話番号: 0824-72-1159
開館時間: 10:00〜17:00
休館日: 火曜日、国民の祝日、12月29日〜1月4日(火曜日が祝日にあたるときは翌日も休みです)
入館料: 無料







特集

夏フェスへ行こう2009

フジロック、サマソニなど国内4大フェスの出演アーティストを完全網羅

改行

花火大会特集2009

全国の花火大会100選!オススメスポットや花火の楽しみ方を大特集!!

改行